京都マラソン

日時

2012年3月11日

レポート

 
3月11日。
奇しくも(いや、寧ろ意図的に?)
あの震災からちょうど1年のこの日に京都マラソンが開催された。
第1回目ということもあり、改善すべき点は多々見受けられたけれど、
総合的に満足のいく大会であった。
個人的にはこれまで参加してきたレースの中でベストだったかもしれない。
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【改善すべき点】
  • 抽選結果発表の遅延。
    第1回目とはいえ、京都シティからの流れを汲んでいるのだから、
    1か月も遅れる不備の理由がわからない。

  • 同様に記録がタイムリーに入手できないのも不思議。
    現在ランネットでグロスは確認できるものの、それすらレース後2日かかった。
    ネット、5キロごとのラップに関しては未だにアップデートされていない(3月16日現在)。

  • 大会の運営というより、京都市内の交通機関。
    スルット関西かICOCAしか使用できないのは不便だ。
    大会当日の烏丸駅で切符を購入する人の長蛇の列にはめまいがした。
    京都は観光都市で日本各地から人が訪れるわけだからSUICAなど
    関西以外のICカードも使用できるよう検討する必要がある。

  • 改善点というより未だに疑問なのは広沢池あたり(9-10キロ)での度重なるランナーストップ。
    緊急車両通過のためとのことなので人命は最優先にすべきだと思うけれど、
    そもそもその説明がちゃんと伝わってこなかった(後から知った)。
    しかも結局緊急車両は通過しないまま…
    このランナーストップで人によっては10分くらいロスしたのではないだろうか?

  • とにかく応援!!
    正直なところ、これまで応援の重要性を意識したことがあまりなかったが京都で開眼!!
    天下の東京マラソンでも佃大橋あたりでは応援もさみしくなる。
    しかし京都はもじどおり最初から最後まで応援が途切れなかった。
    「頑張ってや~」をはじめとする関西弁の応援にテンションが上がった。
    4Km地点での「あと38キロ!」とか「僕は抽選にもれました。走れるみなさんが羨ましいです」
    といったネタ的な応援ボードに笑った。そしてなにより仁和寺のお坊さん総出の応援。
    「東北共にあり」、この応援ボードのメッセージに何も感じなかったランナーはいないだろう。

  • 給水および給食。給水は2-3キロおきくらいだろうか?
    私は給水ポイントではかならず水を摂るので、なんだか給水に忙しかった。
    給食は結局摂らなかったけれど、
    20キロ以降豆乳ドーナツや八つ橋の給食をみかけたときはさすが京都と思った。

  • コース。
    「山岳コース」とか「かなりテクニカルなコース」とか「タイムは通常の+30分くらいかかるだろう」とか
    とにかく不安を駆りたてるような前評判ばかりだったのでかなり尻込みしていた。
    確かに簡単なコースではなかったけど、心づもりができていたためか思ったほどではなかった。
    寧ろこのコース最大の難所である狐坂に関しては、
    苦しさよりも上り切ったときの達成感と爽快感が勝った。
    丘の上から見下ろす京都の街にテンションがある。
    もうひとつの難所と思われていた河川敷も荒川のそれとは違って風光明媚な鴨川沿い。
    しかもコンクリートで舗装されていないからこそ、30キロ以上走ってきて疲れた膝には優しかった。

  • スタートとフィニッシュ。
    競技場でのスタートは流れもスムーズだし何よりいかにもスポーツの祭典といった雰囲気が楽しい。
    大鳥居を潜り抜けてのゴールがこれほどまでに感動的とは…
    京都を走るマラソンコースのゴールにこれ以上ふさわしいものはない。

【レースを振り返る】
8時30分と、少し早いスタート。
制限時間6時間。
あの時間に間に合うように14時30分には全員をゴールさせるという計らいだろう。
開会式では全員で黙とうをした。
この日のために「RUN FOR JAPAN」と大きな文字が入ったTシャツを選んだ。
それがその日の私の意気込みそのものだった。それ以上でもそれ以下でもない。

8時30分号砲が鳴った。
7キロくらいまではフラットだし桂川の風景がのどかでとにかく気持ちがいい!
この日は特にタイムも狙っていなかったので、後半潰れてもいいやと、
抑えることもせず心の赴くままに走った。
7キロくらいからゆるやかな坂が始まったはずなのだが、苦しかった記憶がない。

しかし、9-10(?)キロあたりでまさかのランナーストップ!しかも2回。
あとから緊急車両通過によるものと知ったが、
その時点では何がなんだかわからないので一気に心が萎えた。
かと思えばその直後前述の仁和寺の応援に胸が熱くなったり…
10-20キロはなんだか落ちたり上がったりと心が忙しい区間だった。
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そしていよいよ23キロ。
恐れていた狐坂の始まりである。
ここでSさんとすれ違い激励され、始まりの覚悟ができた。
そばを走っていた男性が
「うへーーーー、きっついなあ」とへばっていたので
「つらいですね、頑張りましょう」と声をかけたら、なぜか自分の元気が出た。
それからはヘばっている人を見つけては
「ここは皆つらいですからね、頑張りましょうね」と声をかけた。
そうこうしているうちに坂は意外とあっさり終了した
。のぼりきった時の爽快感を感じながら、
この感覚を味わうためだけにまた京都マラソン走りたいぞ、と思った。

上るということは下るということである。
風を切ってとばす、とばす。
下り坂で抑えるのが、うまい走り方なのだろうけど、今日はなんだってありだ。
下りきってから、飛ばしたツケが出てきた。
わかっちゃいたけどその後大失速。
鴨川の河川敷に入っても絶賛大失速中!
そんな中、なぜか応援が私にばかりむく。
みんな(特に女性)が「女子がんばれーーー」と私にハイタッチを求めてくる。
よく見ると周囲のランナーは男、男、男の男王国であった。
そうか女子はみんな名古屋に流れて行ったので参加者が少ないんだね。
おかげで沿道の応援独り占めである。
応援に元気づけられ失速していたペースが上がった。

河川敷を終え、いよいよ35キロ。
ここからが本当のフルマラソン後半である。
前半よりはもちろんペースは落ちている。
でもつくばや勝田のときのように6分30秒とか7分/キロまでペースが落ちることはなく、
5分台は保っている。しかも調子がいいときには、私にしては速い5分20秒あたり。
38キロすぎて4時間のペーサーをぬいた。
ペーサーについていた男性が「長い間ありがとうございました」と
ペーサーに挨拶し4時間集団から巣立つ瞬間に合った。
その後彼はラストスパートをかけた。
ドラマチックだった。

そして最後の最後。
41キロ地点あたりだっただろうか。
Yさんがラストスパートかけている姿をみつけた。
たぶん4分台前半で飛ばしていたのではないだろうか。
その姿に刺激を受け私なりに全力でラストスパートをかけた。
そして朱色に大きくそびえたつ大鳥居が視界に入る。
それからはもう無我夢中。
「わーーーーーーーー!!!!」と叫びそうになりながら大鳥居に向かって駆け出す。
ゴールしたら自己ベストが出たことよりも
最後まで自分の力の限り走れたことがうれしくて声を上げて喜んだ!
まわりにいる見知らぬ人とも喜びを分かち合い、かみしめ合った。
【最後に】
ランナーストップ、狐坂ののぼり、など様々なハンディがあった。
「あれさえなければ、もっといいタイムが出たかもしれない」…とは思わない。
ハンディがあろうがなかろうが、今回に関してはこのタイムだったと思う。
寧ろハンディがあったから頑張れたのでは、と思う。

もうひとつ、自分のマラソンと震災をからめるのは気が引けるのだが…
この日が3月11日だったことが最後まで頑張れた理由であることは否めない。
30キロすぎると苦しい。

でも被災された方、犠牲になられた方の苦しみを考えると
「こんなん、ほんまに苦しいか?」と思えた。
あの日は、私だけではなく、
京都でも名古屋でもみんな東北復興を願って走っていたのではないかと思う。
みんなの思いが届きますように!! 


レポート:ななはん