京都マラソン
日時
2012年3月11日
レポート
3月11日。 奇しくも(いや、寧ろ意図的に?) あの震災からちょうど1年のこの日に京都マラソンが開催された。 第1回目ということもあり、改善すべき点は多々見受けられたけれど、 総合的に満足のいく大会であった。 個人的にはこれまで参加してきたレースの中でベストだったかもしれない。
【改善すべき点】
【レースを振り返る】8時30分と、少し早いスタート。 制限時間6時間。 あの時間に間に合うように14時30分には全員をゴールさせるという計らいだろう。 開会式では全員で黙とうをした。 この日のために「RUN FOR JAPAN」と大きな文字が入ったTシャツを選んだ。 それがその日の私の意気込みそのものだった。それ以上でもそれ以下でもない。 8時30分号砲が鳴った。 7キロくらいまではフラットだし桂川の風景がのどかでとにかく気持ちがいい! この日は特にタイムも狙っていなかったので、後半潰れてもいいやと、 抑えることもせず心の赴くままに走った。 7キロくらいからゆるやかな坂が始まったはずなのだが、苦しかった記憶がない。 しかし、9-10(?)キロあたりでまさかのランナーストップ!しかも2回。 あとから緊急車両通過によるものと知ったが、 その時点では何がなんだかわからないので一気に心が萎えた。 かと思えばその直後前述の仁和寺の応援に胸が熱くなったり… 10-20キロはなんだか落ちたり上がったりと心が忙しい区間だった。
そしていよいよ23キロ。 恐れていた狐坂の始まりである。 ここでSさんとすれ違い激励され、始まりの覚悟ができた。 そばを走っていた男性が 「うへーーーー、きっついなあ」とへばっていたので 「つらいですね、頑張りましょう」と声をかけたら、なぜか自分の元気が出た。 それからはヘばっている人を見つけては 「ここは皆つらいですからね、頑張りましょうね」と声をかけた。 そうこうしているうちに坂は意外とあっさり終了した 。のぼりきった時の爽快感を感じながら、 この感覚を味わうためだけにまた京都マラソン走りたいぞ、と思った。 上るということは下るということである。 風を切ってとばす、とばす。 下り坂で抑えるのが、うまい走り方なのだろうけど、今日はなんだってありだ。 下りきってから、飛ばしたツケが出てきた。 わかっちゃいたけどその後大失速。 鴨川の河川敷に入っても絶賛大失速中! そんな中、なぜか応援が私にばかりむく。 みんな(特に女性)が「女子がんばれーーー」と私にハイタッチを求めてくる。 よく見ると周囲のランナーは男、男、男の男王国であった。 そうか女子はみんな名古屋に流れて行ったので参加者が少ないんだね。 おかげで沿道の応援独り占めである。 応援に元気づけられ失速していたペースが上がった。 河川敷を終え、いよいよ35キロ。 ここからが本当のフルマラソン後半である。 前半よりはもちろんペースは落ちている。 でもつくばや勝田のときのように6分30秒とか7分/キロまでペースが落ちることはなく、 5分台は保っている。しかも調子がいいときには、私にしては速い5分20秒あたり。 38キロすぎて4時間のペーサーをぬいた。 ペーサーについていた男性が「長い間ありがとうございました」と ペーサーに挨拶し4時間集団から巣立つ瞬間に合った。 その後彼はラストスパートをかけた。 ドラマチックだった。 そして最後の最後。 41キロ地点あたりだっただろうか。 Yさんがラストスパートかけている姿をみつけた。 たぶん4分台前半で飛ばしていたのではないだろうか。 その姿に刺激を受け私なりに全力でラストスパートをかけた。 そして朱色に大きくそびえたつ大鳥居が視界に入る。 それからはもう無我夢中。 「わーーーーーーーー!!!!」と叫びそうになりながら大鳥居に向かって駆け出す。 ゴールしたら自己ベストが出たことよりも 最後まで自分の力の限り走れたことがうれしくて声を上げて喜んだ! まわりにいる見知らぬ人とも喜びを分かち合い、かみしめ合った。 【最後に】ランナーストップ、狐坂ののぼり、など様々なハンディがあった。 「あれさえなければ、もっといいタイムが出たかもしれない」…とは思わない。 ハンディがあろうがなかろうが、今回に関してはこのタイムだったと思う。 寧ろハンディがあったから頑張れたのでは、と思う。 もうひとつ、自分のマラソンと震災をからめるのは気が引けるのだが… この日が3月11日だったことが最後まで頑張れた理由であることは否めない。 30キロすぎると苦しい。 でも被災された方、犠牲になられた方の苦しみを考えると 「こんなん、ほんまに苦しいか?」と思えた。 あの日は、私だけではなく、 京都でも名古屋でもみんな東北復興を願って走っていたのではないかと思う。 みんなの思いが届きますように!! レポート:ななはん
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